夜、ふと昔のことを思い出しました。
人生がいちばん混乱していた時期のことです。ある時ふと目を開いたら、周りの人みんなの胸から、同じ光が放たれているのが見えた気がしました。それは自分の胸の中にあるのと、同じ光でした。
肉眼で見える光ではありません。でも、確かに「在る」と感じられる光です。
正直に言うと、私はこの光のことを、よく忘れます。
日々の仕事、心配ごと、うまくいかないこと。自分の人生の出来事にどっぷりとはまって、光のことなんてすっかり忘れて過ごしている時間のほうが、ずっと長いくらいです。
でも、時々何かが起きて、原点に立ち戻らせてくれます。そして思い出した瞬間に気づくのです。——忘れていた間も、光は消えていなかった、と。
マザーテレサの暗闇
マザーテレサは、亡くなった後に公開された手紙の中で、意外な告白をしていたそうです。人生の後半の何十年もの間、神の存在をほとんど感じられない「暗闇」の中にいた、と。
あれほどの人が、です。
それでも彼女は、毎朝起きて、目の前の一人に手を差し伸べ続けました。光が見えている時だけ歩くのではなく、見えない時にも、導きを信じて一歩を進める。私はこの話に、とても救われます。
光を感じられない日があっても、いいのです。それは信じることをやめた証拠ではなくて、むしろ信じながら歩いている人にこそ訪れる、普通の夜なのだと思うから。
自分にかける言葉の変遷
私は高校生の頃から、人と接することへの強い恐れを抱えていました。その頃の私は、自分を奮い立たせる言葉を、心の中で繰り返し自分に言い聞かせて、なんとか日々をしのいでいました。
あれから長い時間が経って、自分にかける言葉は少しずつ変わってきました。
はじめは、恐怖と闘うための言葉。
やがて、祈りの言葉。
そして今は——「ありがとう、愛してるよ」。
並べてみて、自分でも驚きます。闘う言葉から、愛する言葉へ。自分との関係が、いつの間にかそんなふうに変わっていたのですね。
もっとも、この言葉さえ忘れていることが多いのですが。それでも、光と同じです。忘れても、消えていない。思い出した瞬間に、ちゃんとそこに在ってくれます。
何度でも、違う言葉で
ブッダも、キリストも、老子も、名前の残らない無数の人たちも、時代も文化も違うのに、指し示してきた先は同じだったのではないか——そんなふうに感じることがあります。
月を指す指は何本もあるけれど、月は一つ。
それぞれの時代の人が受け取れる言葉で、同じことが何度でも語り直されてきた。きっとこれからも、新しい言葉で語り直されていくのでしょう。
そう考えると、なんだか安心しませんか。真理は一度きりの狭い門ではなくて、いつの時代の誰にでも、その人に届く言葉で差し出され続けている、ということですから。
あなたの中にも
もしあなたが今、何かをやめられない自分を責めていたり、また同じ失敗をしてしまったと落ち込んでいたりするなら、思い出してほしいことがあります。
忘れることは、失うことではありません。
光を忘れて過ごした日々が何日続いても、光そのものは減りもしなければ、汚れもしません。思い出したその瞬間に、最初からずっとそこにあったものとして、また見つかります。
あなたの胸の中にも、同じ光があります。
私が自分に言い聞かせている言葉を、最後にあなたにも置いていきますね。
ありがとう、愛してるよ。

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